鉄道開業150周年記念 鉄道唱歌の話
今回は弊社の工藤が「鉄道唱歌」について話しました。
10月14日は、新橋・横浜(現 桜木町駅)間で日本で初めての鉄道が開業した日で「鉄道の日」と呼ばれています。
そして2022年10月14日は鉄道開業から150周年。それを記念して今回は鉄道唱歌についてお話します。
鉄道唱歌とは
鉄道が開業したのは 1872年。それから約28年が経過した1900年5月10日、大和田建樹による作詞、多梅稚と上真行による作曲で、昇文館から出版された第一集東海道篇に鉄道唱歌は始まります。ちなみに全部で334番まであるそうです。
当初は宣伝資金がなく、全く売れないまま昇文館が倒産してしまったのですが、三木佐助(現三木楽器株式会社の当時の経営者)が版権を買い取り、「地理教育 鉄道唱歌 第一集」として再販されます。
楽団を乗せた列車を走らせるなどの広告戦略によって大流行し、年末までに第五集までが発表されました。他にも大阪市街電車唱歌などの関連作があります。
鉄道唱歌は、読者が好きな方を歌ってもらおうという方針のもと、複数の作曲家が作曲しています。
また、当時開通している路線の沿線に沿って、七五調の歌詞が歌われているのが特徴です。
- 第一集 東海道篇
- 東海道線・横須賀線・現在の湖西線・大阪環状線・福知山線にあたる地域
- 第二集 山陽・九州篇
- 山陽線・鹿児島線・日豊線・長崎線
- 第三集 奥州・磐城篇
- 東北線・常磐線
- 第四集 北陸篇
- 高崎線・信越線・両毛線・北陸線・七尾線
- 第五集 関西・参宮・南海篇
- 片町線・関西線・奈良線・紀勢線・参宮線・桜井線・和歌山線・南海線(南海電車)
- 第六集 北海道篇 • 函館線・幌内線・室蘭線・夕張線
※第一、第二集が多梅稚と上真行、第三集が多梅稚と田村虎蔵、第四集は納所辨次郎と吉田信太、第五集は多梅稚
そのうち、第一から第三集、第五集の多梅稚による曲はメロディが覚えやすいのに加えテンポが良く、旅情がそそられるという事情により広く歌われるようになりました。
一番有名なのは品川駅の発車メロディーに使われているものかと思います。
鉄道唱歌の魅力
歌の内容を解説しながら、魅力を紹介していきます。①歴史的価値
まずはこちらの歌詞を見てください。
これは新橋駅の石碑にも刻まれている「すべての始まりの詩」です。汽笛一声新橋を
鉄道唱歌 第一集東海道篇 1番
はや我が汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る
月を旅路の友として
鉄道唱歌の中では最も有名な歌い出しと言われています。
汽笛が鳴って汽車が動きだし、いよいよ旅が始まるという光景が目に浮かびます。この歌のように鉄道唱歌各編の歌い出しは全て、旅立ちを思わせる歌詞になっています。
続いては品川駅の歌です。
当時の品川付近が埋め立てされておらず、線路のすぐ近くまで海だったことがわかる歌詞です。窓より近く品川の
鉄道唱歌 第一集東海道篇 3番
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総か房州か
新橋・横浜間の開業当時、新橋から品川付近までの海上に築堤を築き、その上に線路が敷かれました。現在発見されている「高輪築堤」のことです。
当時の横浜駅は現在の桜木町駅であり、すぐ近くが横浜港の倉庫街やドックで、数々の舟が集まっている様を歌っています。現在のみなとみらいは、元々倉庫やドック、貨物駅でした。鶴見神奈川あとにして
鉄道唱歌 第一集東海道篇 5番
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟の
煙は空をこがすまで
ちなみに、神奈川駅は現在の横浜駅付近にあったため、横浜駅移転の際に廃止されました。
次の歌詞からは、かつて東海道線は、丹那山地を抜ける丹那トンネルではなく、現在の御殿場線で箱根を迂回していたことがわかります。
「国府津おるれば電車あり」と一節目にありますが、当時は小田原電気鉄道という路面電車が国府津と小田原の間を結んでいました。それ以前は馬車鉄道が走っていたと言われています。なので初めは「国府津おるれば馬車ありて」という歌詞だったそうです。国府津おるれば電車あり
鉄道唱歌 第一集東海道篇 12番
酒匂小田原とほからず
箱根八里の山道も
あれ見よ雲の間より
時代に合わせて歌詞が改訂されているものもあれば、次の歌のように改訂が間に合わなかったものもあります。
この頃の山陽線は防府が終点で、九州へ渡るには徳山港から船に乗らなければいけませんでした。馬関は下関のことです。山陽線が下関へ達するのは1901年。関門トンネルは昭和時代に開通します。出船入船たえまなき
鉄道唱歌 第二集山陽・九州篇 25番
商業繁華の三田尻は
山陽線路のをはりにて
馬関に延ばす汽車のみち
信越線は、横川・軽井沢間をアプト式と呼ばれる、ラックレールと歯車を利用して碓氷峠の急こう配を登る唯一の路線でした。
これより音にききいたる
鉄道唱歌 第四集北陸篇 19番
碓氷峠のアプト式
歯車つけておりのぼる
仕掛けは外にたぐひなし
明治時代はアプト式の蒸気機関車だったのが、後に電気機関車に置き換えられ、さらに1960年代にアプト式は廃止され、代わりに補助機関車を利用した通常と同じ方式の新線へ移行します。1997年には北陸新幹線開業により区間ごと廃止されてしまいました。廃線跡は遊歩道として整備され、一部開放されています。くぐるトンネル二十六
鉄道唱歌 第四集北陸篇 20番
ともし火うすく昼くらし
いづれは天地うちはれて
顔ふく風の心地よさ
このように今日では見られなくなった多くの情景が歌詞に書かれており、そこから歴史的背景などを読み取れる点でも歴史的価値があるように思います。
②寄り道
二日市の大宰府天満宮に祀られている「菅公」こと菅原道真についても、第二集で歌われています。作詞した大和田建樹が菅原道真のファンだったそうで、この歌の後には太宰府に寄り道をする歌がいくつか続きます。千年むかしの大宰府を
鉄道唱歌 第二集山陽・九州篇 42番
おかれしあとは此処
宮に祭れる菅公の
事蹟かたらんいざ来れ
鎌倉を旅した歌を連番で見てみましょう。
横須賀ゆきは乗替と
鉄道唱歌 第一集東海道篇 6番
呼ばれておるゝ大船の
つぎは鎌倉鶴が岡
源氏の古跡や尋ね見ん
八幡宮の石段に
鉄道唱歌 第一集東海道篇 7番
立てる一木の大鴨脚樹
別当公暁のかくれしと
歴史にあるは此影よ
こゝに開きし頼朝が
鉄道唱歌 第一集東海道篇 8番
幕府のあとは何かたぞ
松風さむく日は暮れて
こたへぬ石碑は苔あをし
北は円覚建長寺
鉄道唱歌 第一集東海道篇 9番
南は大仏星月夜
片瀬腰越江の島も
ただ半日の道ぞかし
要所の支線や分岐線、果ては下車して観光地、それらをすかさず観光し、沿線の魅力が伝わってきますね。この「寄り道」も鉄道唱歌の魅力の一つではないかと私は考えています。汽車より逗子をながめつゝ
鉄道唱歌 第一集東海道篇 10番
はや横須賀に着きにけり
見よやドックに集まりし
わが軍艦の壮大を
③旅の終わり
さて、鉄道唱歌の最後には、急速に発達した鉄道網を称賛する歌詞が歌われています。思えば夢か時のまに
鉄道唱歌 第一集東海道 65番
五十三次はしりきて
神戸のやどに身をおくも
人に翼の汽車の恩
東海道五十三次、それまでは東京から大阪まで歩いて一週間以上かかっていた、とてつもなく険しい旅路を、鉄道だとその日のうちに辿り着けるようになったと鉄道開業を賛辞しているように読み取れます。明けなば更に乗りかえて
鉄道唱歌 第一集東海道 66番
山陽道を進ままし
天気は明日も望みあり
柳にかすむ月の影
そして66番の歌のように「明日も天気が良さそうだ」と次の旅へ続くことを暗示するもの、またここでは紹介しきれませんでしたが、旅の終わりを祝うもしくは惜しむ歌詞も存在しており、非常に情緒的です。
鉄道唱歌の今
現在では駅の発車メロディや、ほとんどなくなってしまいましたが特急列車の車内チャイムなどで採用されています。
それ以外で言うと、NHK教育テレビのクインテットで、山手線の駅名歌を、鉄道唱歌のメロディに乗せて歌うコーナーがありました。
もちろんカラオケにも収録されていて、JOYSOUND と LIVE DAM で東海道篇全66番を歌うことができます。
また、個人で現代版鉄道唱歌を制作されている方もいるようです。
ただ商用に新しく作られたという話は聞いたことがありません。いつか作成されることを夢に見ています。
おわりに
以上が鉄道唱歌についてです。少しでも鉄道唱歌の魅力が伝われば幸いです。
鉄道唱歌は「地理教育 鉄道唱歌」と呼ばれていますが、歌詞を暗記すると何線の沿線に何があって、さらにどういった歴史があるのかまでなんとなく頭に入るように思います。なのでお子様の地理教育に使用してみるのもいいかもしれません。
まだまだ一般の知名度は低いように感じるので、この機会に知ってもらえると嬉しいです。